ースウェーデンー
誰もが知っているノーベル賞は、スウエーデンで創設されました。
なぜ、この賞が作られたのか?
その裏には、驚きの秘密が隠されています。
*ちなみに、ノーベル平和賞だけは、候補者の選考から決定、さらに授賞式に至るまでのすべてがノルウエー・オスロで行われます。なんと、スウェーデンは関与していないのです。これに関しては、『第4話:ノルウエー外交力の秘密は、ノーベル平和賞!』をご覧ください。
——————目次——————
1.アルフレッド・ノーベルってどんな人?
1)ダイナマイトの開発
2)ダイナマイトを必要とした産業革命
2.ノーベル賞とは、どんな賞?
3.ノーベル賞は、どこがすごいの?
(1)世界で最初の国際賞
(2)賞金額が、けたはずれに大きい
(3)日本ではノーベル賞の受賞金に、どのくらい税金がかかるの?
4.秘密のノーベル賞
なぜ、ノーベルは財産をなげうち、ノーベル賞の創設を考えたのか?
その光と影とは?
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1.アルフレッド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel)ってどんな人?
1833年スウエーデンのストックホルムで生まれたアルフレッド・ノーベルは、科学者であり、発明家であり、さらに国際的な実業家でした。
アルフレッド・ノーベル
ノーベルは、ニトログリセリンを用いたダイナマイト*をはじめとするさまざまな爆薬の開発・生産によって莫大な財産を築きました。これには、当時の産業革命**という歴史的背景も強く影響したのです。
1)ダイナマイト*の開発:
ニトログリセリンの合成は、1846年にイタリアの化学者、アスカニオ・ソブレロが成功していました。すさまじい爆発力はわかっていましたが、わずかな振動で爆発するため、取り扱いはきわめて難しく実用化が困難とされていました。
1866年、ノーベルはニトログリセリンを珪藻土にしみ込ませることで振動に強くし、さらに起爆装置も自ら発明してダイナマイトを作り出したのです。この時、ノーベルは若干33歳。その後、5年後にはダイナマイトの生産を開始。50カ国で特許を得て100近い工場を持ち、世界中で採掘や土木工事にダイナマイトが使われるようになり、一躍世界の富豪の仲間入りをしました。
ダイナマイト
2)ダイナマイト*を必要とした産業革命**:
19世紀はスウエーデンに産業革命が到来した時代でした(日本は明治時代)。当時スウェーデンでは北部鉱山での鉄鉱石の採掘やその運搬のための鉄道・道路などのインフラを整備する工事の必要に迫られていました。しかし、スカンジナビア半島全体が強固な岩盤で覆われているという地質学的な問題が工事の大きな妨げになっていたのです。ちょうどこの頃にノーベルが発明したダイナマイトは土木工事に革命を起こしたのでした。
しかし、19世紀から20世紀にかけて世界規模の戦争が勃発するようになり、人類はこの爆薬を兵器に転用しために、大きな悲劇を引き起こすことになったのです。土木工事用に用いられてきたダイナマイトが軍事目的に利用され、多くの人々が傷つき・そして命を落とすことになってしまいました。しかも、軍用の武器として使われるようになったことで、さらに巨万の富がノーベルにもたされるという皮肉な結果になっていったのです。
2.ノーベル賞って、どんな賞?
晩年のノーベルは、自らの財産を活用して、人類の発展に貢献した人に「ノーベル賞」を授与するように遺書を書き残していました。ノーベル賞は、以下の5つの分野に限られていました。それは、①物理学賞、②化学賞、③生理学・医学賞、④文学賞、⑤平和賞 です。これに従い、1901年から授与が始まり、現在も継続されている世界的な権威を持った賞です。
経済学賞だけはノーベルの遺言にはなく、スウェーデン国立銀行設立300周年祝賀の一環として1968年に設立されたものです。ノーベル財団は「ノーベル賞ではない」とし、正式名称を「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン銀行経済学賞」としています。しかし、一般にはノーベル賞の一部門として扱われることが多いのです。
3)ノーベル賞は、どこがすごいの?
(1)世界で最初の国際賞
ノーベル賞は、世界で最初の国際賞です。国籍を問わず、世界で最も大きな業績をあげた人物に賞を与えるという点が斬新でした。
ノーベルの亡くなったのは1896年、第1回ノーベル賞授賞式が開かれたのが1901年です。第一次世界大戦前の19世紀、欧州で絶えず戦争を繰り返していた時代です。
自国民に対して、国王や王立の機関などが与える学術賞は、存在していました。しかし、ノーベルが書き下ろした遺書には「賞を与えるにあたっては、候補者の国籍は一切考慮してはならず、スカンジナビア人であるなしにかかわらず、最もふさわしい業績をあげた人に与えるというのが、私が特に明示しておきたい願いである」と記されています。
未来を見据えて、世界規模で物事を考えるノーベルは、突出したスケールの大きさを持っていたと言えるでしょう。
(2)賞金額が、けたはずれに大きい
21世紀の現在、国際賞も多くみられるようになってきました(2000以上)。
しかし、その賞金額は300―500万円が多く、1000万円を超えるものは少ないのです。 一方、現在のノーベル賞の賞金*は、1000万スウエーデンクローナ(約1億4200万円)!
(3)日本ではノーベル賞の受賞金に、どのくらい税金がかかるの?
なんと、ノーベル賞ならば、税金はかかりません!
ノーベル賞の場合、課税しないように所得税法を改正してしまったから!
日本においてはノーベル賞の賞金は所得税法第9条第1項第13号ホにあるように、所得税は非課税となっています。これは、1949年に湯川秀樹が日本人として初のノーベル賞を受賞した際に、賞金への課税について論争が起こったのを受けて改正されたためです。
1949年の日本で、所得税法を改正してしまうほど、ノーベル賞は世界的権威のある特別な賞だと考えられていたのでしょう。
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4.秘密のノーベル賞。
なぜ、ノーベルは財産をなげうち、ノーベル賞の創設を考えたのか?
1)新聞の誤報記事
1888年に実兄がカンヌで死去した時のことです。フランスのある新聞に「死の商人、死す」との見出しで、「アルフレッド・ノーベル博士、可能な限りの最短時間で、かつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が、昨日死亡した」と報じられたのです。この誤報記事(兄と自分を間違えた記事)にノーベルは大きな衝撃を受けたと言われています。ダイナマイトの開発は、自国スウエーデンでの土木工事用でありました。しかし、兵器として使われたため、「戦争で金儲けをする死の商人」と世間から批判されていることを知り、深刻に悩むことになってしまいました。生涯独身で子供のいなかったノーベルは死後の遺産の使い道を早く書き残しておかなければと考え、遺言状の作成にとりかかりました。この遺言状がノーベル賞の創設に繋がったのです。
ところが、それだけではなかったのです!
2)ノーベル賞の創設には、1人の悪女と1人の才女がかかわっていた?
①1人の悪女
アルフレッド・ノーベルは、43歳の時に、ウィーン近郊の花屋で20歳になったばかりの娘ゾフィー・ヘスに出会い、恋に陥ったのです。そして、ゾフィーに対して一方的に金品や別荘や豪華な衣服を買い与え、二人の関係は18年もの間続くことになりました。しかし、ゾフィーが若き将校の子を宿すことによって破局を迎えてしまいました。
するとゾフィーは2人の交際の事実を公表すると、ノーベルを脅迫し、延々と大金をもらい続けたのです。
『こんな女に大金を使うのは馬鹿らしい。まして、自分が死んだ後、遺産としてすべてをくれてやるなんて・・・。それならば、遺産を使って国際的な賞を創設しよう』とノーベルが考えた?と言われています。
ノーベルの死後、ゾフィーがとった行動は?
ノーベルが自分に宛てた200通を超えるラブレターを遺言執行人に売りつけて、莫大な富を得たのでした*。
*アルフレッド・ノーベル伝―ゾフィーへの218通の手紙から:kenne Fant (原著), 服部こと(翻訳)、新評論社、1996/06
②1人の才女:ノーベル平和賞設立との関係
ノーベルが平和賞を賞の1分野にした理由については、本人からの説明がないため明確にできません。しかし、彼と交友関係があったオーストリアの女性作家・平和運動家のベルタ・フォン・ズットナー(Bertha Sophie Felicita von Suttner)の存在が大きいとされています。この賞は、ノーベルから彼女への贈り物と考える人も少なくないのです。
ベルタ・フォン・ズットナー展 (ritsumei.ac.jp)(写真は、立命館大学国際平和ミュージアム ベルタ・フォン・ズットナー展より)
彼女は、ノーベルが40歳でパリに本拠を移したとき、秘書兼家政婦の仕事を募集したのに応じてきた人物です。ノーベルから信頼された教養のある才女でありましたが、短期間でノーベルのもとを去ってしまいます(婚約者との結婚のため)。しかしその後、ノーベルが亡くなるまでずっと文通が続いたのです。彼女は19世紀の女流作家として活躍することになりますが、国際平和運動に身を投じて、ヨーロッパ平和会議を組織する活動も行いました。 彼女は、常設国際平和局(Permanent International Peace Bureau)の会長も務め、1905年に長年の平和運動を理由として、女性として初めてノーベル平和賞を授与されました。
平和運動に生涯をささげた彼女の横顔は、母国オーストリアで2ユーロコイン硬貨に刻まれています。
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