上空から見たパリ市内

第7話:パリ破壊計画を阻止した男たち(その2)

―パリは燃えているか?―

「パリは燃えているか?」というサブタイトルをみて、オリンピック開催が直前に迫ったパリの熱気という意味で捉えた方がいたかもしれません。それは、違います。

 その昔、「パリは燃えているか?」と怒鳴りつけた独裁者がナチスドイツにいました。我々は、この言葉を発した人物とその罪の深さを決して忘れてはいけないのです。

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ノルドリンクは、コルティッツ将軍に対してパリ爆破計画を中止するように説得しにきたのです。

※この時行われた、コルティッツ将軍とスウエーデン外交官の重要な交渉は、戯曲「Diplomacy(外交)」で有名になり、その後同名の映画としてもヒットしました(日本公開名:パリよ、永遠に)。

映画『パリよ、永遠に』公式サイト (nikkatsu.com)

また、ドキュメンタリー作品の傑作と言われ、のちに映画も大ヒットをした「パリは燃えているか?」でも、この2人について描かれています。自宅でじっくりと映画鑑賞すると、どちらの作品も感動ものです👇

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ノルドリンクは、パリ爆破計画を中止させるため、自由フランス軍ルクレール将軍から預かってきた手紙を渡し、交渉の糸口を探ろうとしました。

しかし、コルティッツは渡された手紙を封も切らず破り捨ててしまいます。ルクレール将軍からの手紙は、「無抵抗で降伏し、パリを無償で返還するならばドイツの名誉ある降伏を保証する」という内容でした。コルティッツが「もう何も聞きたくない」と無理やり彼を帰そうとした時です。執務室に緊急電話がかかってきました。

「(何? 起爆装置が破壊された?)」

顔色を変える彼を見たノルドリンクは、「爆破担当の中尉からですか?起爆装置に不具合でも?」

「なぜ、わかった? 君はフランスのスパイか? それともイギリス? アメリカのスパイか?」

「私は、個人として動いているだけだ。スウエーデンは中立国だ。2度の世界大戦も中立を貫いてきた」

「では、何の目的でここへやってきた?」

「一般市民に罪はない。小さな子供を何人殺すつもりなのだ?パリを破壊したら君は戦犯になる。戦闘地帯以外への攻撃は、犯罪行為だぞ!」

「昨夜まではそうだった。しかし、8月25日 午前3:10きっかり、連合軍は防衛線を突破した。もう、パリは戦闘地帯だ」

郊外からの爆発音が響いてきます。連合軍の進撃は、同時にパリ破壊計画の実行が迫ってくることを意味していました。

「将軍、現実をみてくれ。ドイツは間もなく負ける。それなのにパリを破壊してどうなる?何のために?連合軍のドイツ侵攻を遅らせるためにだけか?」

ノルドリンクは、説得を続けました。

「もしパリを破壊したら、未来の両国(フランス・ドイツ)関係は台無しだ。パリ市民だけのためでなく、ドイツのためにも計画を中止してくれ!パリの破壊はドイツの崩壊だ。理性ある人間なら、ヒトラーからの命令であっても従うべきでない!」

その言葉を聞いたコルティッツは、絞り出すように語り始めました。

「Jippenhaft(ジッペンハフト)を知っているかね?」

「?」

「私がパリ赴任の前日に公布された法律だ。つまり、私のために作られたような法律だ。ドイツ将校の家族はすべて人質とみなされる『親族連座法』だよ。ヒトラー総統の命令に従わず、パリを爆破しなければ私の妻子は逮捕され処刑される」

ノルドリンクは、コルティッツの悩みを初めて知りました。

「私は(ヒトラー)暗殺未遂事件後、総統によばれた。顔面蒼白で目は血走り、喚き声をあげ、顔は痙攣し、変わり果てたヒトラーの姿を見た時、『もう総統の命令には従わない。無用な流血は避けよう』と思った。しかし、Jippenhaft(ジッペンハフト)が・・・」

ノルドリンクは、返す言葉がありませんでした・・・。

「教えてくれ! 君ならどうする? 愛する妻と3人の子供を犠牲にして、自分と関係のない街を救うべきなのか?」

すでに夜も明けており、連合軍はパリ郊外のサン=クルーにまで迫っていました。

「コルティッツ、私は君の家族を手助けできる組織を知っている。私に任せてくれないか?バーデン=バーデン(ドイツ)からフランスを経由してスイスへ。これが家族を救う方法だ」

「どうすれば、君の話を信じることができるのだ・・・」

意を決したように、コルティッツ将軍はホテルの屋上へ向かいました。パリ破壊命令は、電波状態がよい屋上から無線で知らせることになっていたからです。

彼がホテルの屋上から見たものは・・・。絵画のように美しいパリ市内の全貌でした。

「コルティッツ、聞いてくれ! 破壊する将軍は多い。しかし、何かを築ける者は少ない。パリの存続は、君次第だよ。征服者と同じぐらい名誉に値すると思うがね」

「ノルドリンク、私は最愛の家族を君の手に託すよ」

コルティッツ将軍は、爆破班に最終命令を出しました・・・。

世界中の人々が知っているとおり、パリは守られたのです。爆破計画は、中止されました。

―パリは燃えているか?―

8月25日:午後1時

ヒトラーは、自分が出したパリ破壊命令が実施されたという報告が来ないことに怒り、作戦部長アルフレート・ヨードル大将に「パリは燃えているか?」と叫んだといわれています。

ヒトラーからの命令を受けたコルティッツ将軍でしたが、ノルドリンクの説得に従い、パリ破壊計画を中止させました。また、「パリを火の海にする」と威嚇しつつ、パリ市内での大規模な市街戦や都市破壊を実施しなかったため、パリ市内の被害を可能な限り抑え込んだのです。

8月25日午後3時前

コルティッツは、自由フランス軍ルクレール将軍の代理に対して全面降伏を告げました。

その後(パリ解放後)

連合軍の捕虜となったコルティッツは、3年後の1947年に釈放されました。ノルドリンクが約束したとおり、妻と3人の子供たちも無事でした。

コルティッツは、1966年に肺気腫により死去するまで、バーデン=バーデンの近郊に住んでいました。彼の葬儀には、ドイツ連邦軍とフランス軍の将校が参列したとされています。

*1955年、コルティッツは、パリでノルドリンクと再会しました。ノルドリンクは、パリから授与された勲章を「パリを救った人物」として、コルティッツに贈りました。勲章には、次の文字が刻まれていました。

「自由を勝ち取ったパリ」

ラウル・ノルドリンク(Raoul Nordling)について

スウエーデン人の父とフランス人の母のもと、パリで生まれ、パリで育った人物でした。若いころに兵役を終えるためスウエーデンに渡った時、スウエーデン語を学ぶのが大変であった彼は、自らをパリ市民だと感じたそうです。1944年8月、ドイツ軍司令官コルティッツ将軍と交渉し、パリを破壊の危機から救ったことが評価され、勲章を授与されました。また、1958年にはパリ名誉市民に任命されました。

ノルドリンクの誕生日 11月11日は、奇しくも世界平和記念日です。1918年にドイツとアメリカが調印し、多くの犠牲者を出した第1次世界大戦が終結した日であり、再び戦争を起こさないために設けられた記念日です。

彼がパリを守り、そして繰り返し起こってしまった大戦争の終結につながる仕事を成し遂げたのは、常に世界平和を思う気持ちが強くあったからではないでしょうか。

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*情報提供のお願い*

パリ11区に Square Raoul Nordling という広場を見つけました(下記のGoogle Mapを参照してください)。

住所は以下です

28-34 rue Saint-Bernard
75 Paris

*この広場が作られた(名付けられた)由来を知っている方がいらっしゃれば、下記のメールアドレス宛に情報を提供してください。お願いいたします。

E-mail: cocokojikoji2024@gmail.com


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